
こんにちは。火曜担当しもじです。
しもじ初☆の祝日更新。
休みモードでブログ更新ってことを忘れて、午後に突入。
まぁ、しかたない。
あっしゃ、ON、OFFの切り替えが激しいほうでやんす。
そして、これまた「お初」となる家パソからの更新。
家パソコンは、女性のカバンにもすっぽり入る・・・というキャッチコピーが良く似合うノートブック。
小さいのだ。本当に。
普段使っている手帳サイズ=B5。
私の指は太いのだよ。
つまりさ。
すっげぇ打ちづらいんだ。
たまんないね。指つりそうだし。
愚痴っても前に進まぬゆえ、このネタはそれくらいで。
さて、年末に向けての大きなイベントといえば!
そう。
あれです。
夢あふれる、あのイベント。
笑顔と、そして時にちょっとセンチメンタルな気分にもなり。
そしてまたあるときには、人生も変わっちゃうことがある。
「有馬記念」
そうこれ。
クリスマスじゃないよ。
もっと年の瀬だ。
今年は12月26日に開催されちゃうゾ。
この日のために、馬主さんも調教師の方も、ジョッキーも、競馬ファンも事前準備を怠らない。
そして一攫千金か、はたまた夢破れるのか。
大きな人生の分岐点になる!かもしれない大イベント。
クリスマスキャロルも、まぁ人生が大きく変わるかもしれないが。
現実主義にはこちらの方が「ありえそうな夢」なのかもしれない。
そんな「馬」気分も盛り上がる年末目前。
「馬」といえば、乗馬だぜ、乗馬。
乗馬といえば、貴族。
いや、ヨーロッパか。
もちろん、モンゴルの人も乗る。
三国志の世界でも、馬がいなくっちゃストーリーが始まらない。
日本だって、暴れん坊将軍のオープニングが始まらない。
乗馬って大切ね。
かっこいいし。
馬乗れる、なんて。
しかも馬、かわいい。
触ったことありますか?
口のあたりが超敏感らしく(いろいろなことを、口で感知してるらしいです。猫のひげみたいなものです)、そのあたりを触ると気持ちいい。
しかも、そんな敏感なところを触らせてくれるという、動物にあるまじき心の広さ!!!
馬がアニマルセラピーで使われる理由がよくわかる。
受け入れ態勢がとにかくすごい。
「飛び込んでこーい」
という感じ。
乗馬ってスポーツなんだそうです。
で、スポーツというからには体を動かす=健康促進。
ということで、とっても体にとっていい。
乗馬は姿勢がよくなるってよく聞くけれど、これは乗馬姿勢が悪くなると馬の動きが悪くなるため、自然と背筋腹筋を使って、姿勢をよく保とうとするためだとか。
使っていれば、体は徐々に変わっていくもの。
普段からよい姿勢が保てるようになるとは、自然と知らぬ間に背筋・腹筋がついてくるから、なんですね!
ジョーバも人気みたいだし。
実際に触れて癒しにもなる、乗馬で心・体をキレイに健康にしちゃいましょう♪
さて。次。
みんなの意見はどうなんだろう?
と思ったこと。
『料理に髪の毛入ってたらどうするか』について。
髪の毛か。
髪の毛が抜けるのはしょうがない。
だって、人間は新陳代謝をしているから。
髪の毛だって、抜け落ちるよ。そりゃ。
季節の変わり目はとくに抜けやすいね。
しかも27歳。
年だからか、年々抜ける量が多くなっている気が・・・
昨日の社内掃除の時も、しもじの抜け毛をバタコに発見されました。
DNA発見☆
それは机の上に落ちていたので、まぁ誰もが「捨てとけ」と思う程度の出来事。
が、今回の記事は、口に入る「料理」に入っていた場合のこと。
どうする?
以前、とある居酒屋チェーンのレセプションに当時のITOMAガールズみんなで行ったことがあるんですが、そのとき、入っていたそうです。
毛が!
しかも、縮れていたとかいないとか。
へぇって感じ。
ちなみに同席していて同じ料理を食べていたはずのしもじが「だったそう」と言っているのは、そのときしこたまビールを飲んでいてあんまり憶えていないから!
いやぁ、あのときは飲んだね。
しもじ人生で一番飲んだ。
瓶ビール6本はいっていたね。
まぁ、それはいいや。
そのとき、他のガールズは「食べる気なくした」と言ってたけれど。
食べるよね?
食べない???
しもじは食べます。
というか、髪の毛だってたんぱく質。
仮に口に入れちゃってもモーマンタイ。
気付いたらはずしとけばOK!
くらいに思ってるんだけど。
これが入っていたらいやだなぁ、と思うのは
野菜のヘタとか、かな。
わざと入っているものならいいんだけれど、スープにサラダで使ったと思われる野菜のヘタとか入ってるとげんなりする。
まぁ、これも「それも食べ物」と思えば、食べれなくもないからあくまで食欲減退って程度だ。
うん。
食べることに貪欲なんだな、私は。
でもまぁ、嫌がる気持ちも理解できないわけじゃない。
やっぱり髪の毛だし。
言ってしまえば、切った爪が入っているようなものだし。
しかも、赤の他人のものだし。
気持ちがいいものではないものね。
かつて思春期のころ。
大人たちが、権力の強いものにペコペコする姿や、悪いことを見て見ぬふりをする姿に正義感を燃やし、反抗していた。
青い正義感とでもよんでよさそうな、ある種潔癖な清い心があったように思う。
それがいつの間にか、自分・他人が程よく傷つかず、そして平穏に過ごすことができるように「見て見ぬふり」を覚え、心にも無いことを話す術を身につける。
飲み水として、清い水だけではなく多少汚れている水だろうと飲める、そんな強さを手に入れる。
それが「大人」なのかもしれない。
髪の毛一本はとても細い。そしてそれだけは何の役にも立たない。
されど、その髪の毛一本でも人を大きく動かしてしまうかもしれない。
料理に入った髪の毛「ごとき」に、人生を変わらせないでほしい。
それよりも、ビッグドリームを追いかけて人生が変わるほうが人々の心には大きく残れる・・・んではなかろうか。