先週は、まさかの「ジョジョ」でしたが、本日は「ガラスの仮面」。
どっちも有名な漫画すぎて、オマージュ作品やらパロディ作品も多く、どれだけ影響力のある作品か、というのがよく分かります。
いろいろ、個人的にも話をしたいところですが。
本日は、とある事情のためサックリいきたいと思います。

ドラマ「ガラスの仮面」の印象が私の中で色濃いのですが。
ドラマ、舞台、アニメとこれまでも幾度となく映像化されていた、ということにこのブログを書くときに知りました。
何がそんなに人々の心を揺さぶるのか。
それは、演じるということに身も心も捧げている「情熱」ではないか。
思えば、巨人の星やアタックNo.1などの懐かしのアニメはド根性ものとは言われて、現代の「アッサリ」感覚から考えたら真逆のようでも、今観ても興奮するし。
ONE PIECEも、「こんな熱い奴ら、みたことないZE」と読んだ人は思うだろうし。
人を動かすのは、人のパッションだ!というようなセリフをどっかの漫画で読んだことがありますが、正にその通りだと思います。
スポーツ観戦が好きな人も、スポーツマンのパッションにノックダウンされてるんでしょうね。
そんなガラスの仮面。
まずはなんといっても、あの「白目現象」が特徴的。
マヤ…おそろしい子、と姫川嬢が言うときは、白目になっていることが多いです。
そう言われているマヤもショックを受けると白目になります。
この白目現象、実際白目になってたらそりゃあぶっ倒れる一歩手前という感じなので、恐らく比喩的表現だろう、というのが月曜担当カワノさんとの検証結果。
じゃあ、何を比喩してるのか。
心の衝撃度=黒目の大きさ(ミニマム)
ではないかと。
衝撃が大きければ大きいほど、黒目が小さくなる。
イコール、衝撃が大きすぎて黒目がなくなる。
演劇をやろうって思う人はやはり心で感じる部分も繊細で、中々衝撃が大きい出来事が多いようです。
そして、特徴もう一つ目。
月影先生の名ゼリフ。

月影先生は、言わずと知れたマヤの先生。
『あなたは千の仮面をもっている』
なんて言葉は有名ですが、「マヤ、人形になるのよ!」というような言い切りのしかも、ちょっとそれ過激すぎって言葉が多いので大変人気です。
「演じるときは体で演じるんじゃない、心からそのものになりきるのよ」
と言っていたこともありますが。
演劇は人に感動、喜び、哀しみ、嬉しさを与えるもの。
その演劇で「演じる」ということは、そのものになるということ、という深い言葉です。
人に何かをするとき、そこへの心の込め方というのは正にこの月影先生の言葉を肝に銘じないといけないと思うのです。
しもじという人間にはいくつもの面があるけれど。
ITOMAスタッフとしてのしもじは、ITOMAスタッフにならなければならないし。
とある農家の娘に生まれたしもじは、親の前ではやはり娘にならなければならないし。
千の仮面を持つのは、マヤくらいのものでしょうが、私たちはいくつかの仮面を持っていて、その仮面を被っているときはそのものになりきらなくちゃ、心がこもらない。
うん。素晴らしい。
ぜひとも、このブログでITOMAスタッフしもじとしての仮面がはがれないようしたいと思います。
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