最大に「痛い行動」とは自覚ある行動である(本日の格言)

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 心地良い昼下がり、こんにちは。火曜担当しもじです。



 前回記事はちょっと風呂敷を広げすぎて収拾が付かなくなったきらいがありますので、今週はリベンジです。

 ITOMAスタッフのみんなのブログネタが、段々おもしろさをアップしてきて、毎週地味にプレッシャーです。

 (…プレッシャーを乗り越えてこそ、大きくなれると思えばこれもまた試練。ガンバ、私)



 さて、今回は「痛い女」。

 変換ミス「居たい女」ならまだありだろうけど、「痛い」のは厳しい。



 何が辛いって、「痛い」行動って本人無自覚なことが多いからです。

 むしろ、良かれと思ってやっているところがあるからです!!



 現在読んでいる本に、人類はその歴史上「仲間はずれ」を恐れてきた(=狩猟時代は仲間はずれにされたら、生きていけなかったから、だそうですヨ)という言葉が載っていました。

 また、人格形成は幼少時代から始まり、思春期の頃にはほぼ確定しまうのだとか。

 (……はっΣ(-△-)、話が長くなりそうだ。省略しよう、いや要約しよう)



 (要約)

 人は他人より秀でたもの(目立つもの)に優位性を認め、それを伸ばして集団における地位を確立していく。



 ということで、たとえ「痛い行動」だろうとも、本人にしては所属集団における地位のためには不可欠な行動になっている可能性が高いのです。

 ゆえに、本人気付かないって・・・ね。

 ツラい。



 ですが、まぁ、あれですね。

 たとえ、痛い行動をとろうとも、みなさん既に大人なので「優しくスルー」してくれるはずです。

 はれもの・こわれもの・たたり神・痛い人には触れるべからず・・・で。

 後は、本人が自覚して自分を変えるか、知らずに一生を終えるか、です。

 (もしかしたら、年齢によって受け入れられるかもしれませんしね!)



 昨日のカワノさんのコメント通り、「(ストレスについて)考えるのがストレスになる」になっても精神衛生上よくないですし。



 とか言いながら、今日も資料がとっちらかった机にて必死こいてブログを書くしもじでした。

 (人として痛いんかもしれない)

 

 あ。思い出しましたが、過去一度『ITOMA』誌面にて、エステ体験企画に参加したことがあります。

 その誌面を見て、仲良くしてくれていた飲食店の店長さん(男性)に「ありかなしか聞かれたら、ないわ」と言われたことがあります。

 「自分、痛すぎ」

 とこのときほど、痛感した日はありませんでした。

 それ以降、そのお店への足が遠のいたのはしもじのなけなしの乙女心、ということで(苦笑)


 そういえば、今日本当は「本のレビュー」でもしようかなーと思っていたんですよね。

 大人が読んでも(むしろ、大人になってから読んで欲しい)OKな童話。

 ドイツの作家、ミヒャエル・エンデが書いた『モモ』です。

 

 …岩波少年文庫の、モモの後姿が、『戦う!セバスチャン』(池田乾作・新書館)のヘイヂに似ている気がします。(余談です。分かる方だけわかっていただければ幸いです)



 最近、「時間が足りない!」「効率よく仕事したい」と思っているアナタ!(私も、です)

 ぜひとも一読を。



 そうそう、大切な時間のためにしていることが、反対に時間をなくしてるんじゃない?

 という、当たり前なんだけど忘れがちなことを思い出させてくれます。

 今や、時代の流れは「激流」となり、ぼやぼやしてたら流されてしまいそうですけど、どんな激流でも浅いところは流れが遅くなりますからね!

 慌てて溺れてしまわぬよう、ボーッとするくらいがちょうどいいかもしれませんね。



 今日は楽しい二本立てでした。

 さぁーて明日のITOMAブログは!?

 『バタコ、突然の暴走。もう、しもじの訂正指示にはついていけません』

 『校長先生はどうして校舎内をウロウロするのか。科学的に実験してみた』

 の2本立ててお送りします。

 (嘘です。そして、上記行動は「痛い行動」の1番目に相当しますorz)