どうにもならないことをどうにかしようとした記録。今日の偉人はニュートンさん!

おはようございます。火曜担当しもじです。

すっかり春めいて、日中は日差しの暑さを感じるほどになりました。
紫外線が絶好調!の季節になりました。
日傘をさす女性の姿もちらほらと。
先手先手が美白を制す、といわんばかりに、これからは「美白」「UVカット」などの言葉が巷を騒がすことでしょう。
毎年思うことですが、汗で流れていく日焼け止めに対処するにはどうしたらいいですか?
そういうときに限って作業中で、そんな10分に1回とか日焼け止めを塗りなおすなんていうのはムリで、大概休憩が入ったとしても1時間~2時間は放置ってことが多いのです。
つばの大きな帽子を被る、首にタオルを巻くなどの対応はしますが、より効果的な方法がある、汗で流れない日焼け止めがあるなどの情報をお待ちしております。

さて、そんな先週末、衣替えをしました。
私は「夏物」「冬物」がメインなので、春秋ものは少ないです。
少ないので、タンスの中身は一気に夏モード突入。
気が早いノースリーブに、薄い生地の服が目白押し。
さぁ、どれを着るにもまだ早い気がするゾ!
どうする、私!
とか思いながら、ニヤニヤと作業をしていたら、なぜかあのブックタワーが崩れました。
えぇ、それはもう見事なほど一つの山が雪崩をを起こせば、他の山を巻きぞえにし、全てのタワーが崩れましたとさ。
まぁね。
さすがにね、私だって、積まれた本が胸近くまできちゃっているのはまずいなぁとは思っていたのですよ。
しかも土台は不安定なダンボールの上とあっては、積んでいるうちからピサの斜塔になってしまうのも、それを支えるのが他の家具とか、もうまったく強度0になっているのも、分かってはいたのですよ。
でもね。
何の刺激もなく、崩れるってそりゃあ何か間違っていませんか?
地球の法則的に。
ねぇ、ニュートンさん!!

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サー・アイザック・ニュートン(1642年12月25日 – 1727年3月20日)はイングランドの自然哲学者、数学者。神学者。ニュートン力学を確立し、古典力学や近代物理学の祖となった。古典力学は自然科学・工学・技術の分野の基礎となるものであり、近代科学文明の成立に影響を与えた。(byウィキペディア)

『天体の動きなら計算できるが、群集の狂気は計算できない。』
(全くだね。人の気持ちが集まると狂気になりますものね)

いや、ニュートンさんに言ったって解決はしないね。うん。冷静になろう。


まぁ、崩れたものはしかたない。
そこはおきてしまったことを嘆くよりも先のことを考えよう。
そう、この本の中から、売りに出す本と保管用の本を取捨選択しよう。
そうすれば、実際に売りに出すとき楽だからね!

と思い、仕分けしながら……
部屋の掃除していてもそうですけど、本棚の整理をしていても、ついつい懐かしくてとか、おもしろそうと興味を惹かれて、本や思い出の何かを見だして作業ストップなんて経験、誰にでもありますよね。
そして、往々にしてそれをすると作業がイヤになる。

甘い誘惑に見事ひっかかりながらも、仕分け仕分け。
売る候補と売らない本、どっちつかずの本を仕分けして。
また、売る候補の本のタワーが雪崩を起こし、作業2倍。

結局、衣替えした服と乱れた本(笑)が片付く頃には、作業開始から軽く1時間以上は経過。
6畳の部屋なのに、そんな物量入らないハズなのに。
なんか、すっごくすっごく時間を無駄にした気分です。

とっても時間の効率が悪いみたいなんですが、どうにかならないんでしょうか。
野口さん!!

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野口 悠紀雄(のぐち ゆきお、1940年12月20日 – )は、日本の元官僚、経済学者。専門は、日本経済論、ファイナンス理論。早稲田大学大学院ファイナンス研究科教授、一橋大学名誉教授。(byウィキペディア)


野口さんは「超」効率手帳という手帳の考案者というだけで、私の事情にはさっぱり関係ありません。

とにかくまぁ、衣替えも本の整頓も済んで私の週末は終わりました。

整理整頓がとても苦手な私ですが、思い出と遭遇できるのは好きなので、自分の部屋でたまに家捜ししています。
そして、元に戻すのでさっぱりきれいにはなりませんが。

さてそんな、思い出の縁(よすが)は様々な形で私たちの前に現れます。

時には、そのままの「人」だったり、「写真」だったり、「声」だったり。
「音楽」だったり、「香り」だったり。
色々です。
物事から(たとえば海水浴や浴衣を着る動作)からも、今まで忘れていたことがフッと思い出されるときがあります。
そんなとき人は、懐かしさと共に戻らない時間への切なさを感じます。

思い出はきっと二度と訪れないからキレイなんだと思います。

「楽しいことは思い出せないけど、辛かったことはすぐ思い出せる」
に近いことを、私は高校時代、進研ゼミのCMで聞いたことがあります。

さもありなん。

人の思い出は記憶に深く爪あとを残したものの方が強く残っているもの。
楽しいより、辛いほうがグッサリきますからね。

でも、不思議。
その「辛かった」ということは憶えていても、どう辛かったか、思い出すたびに同じ辛さを味わうなんてことはないんですよね。
辛かったよなー、あのとき。
で終わってしまうのです。

それはしっかり思い出になったということでしょう。

反対に、今も血管から血が吹き出すほどの苦しみを味わうようだったら、それはまだ思い出にならず「今」なのです。
所詮私たちは、「今」しか感じることも触ることもできないんでしょうねぇ……

さて。
そんな思い出の縁の中でも、誰の記憶にも思い出にも何らかの形で残っているものといえば、コレではないでしょうか。

そう、玉子焼き。
私は玉子焼きが好きですが、好きだろうと嫌いだろうと思い出にはなりえます。

私が、玉子焼きから連想することといえば。

小学校のころに流行った、「家なき子」(主演:名子役・安達祐美)で、お父さんが鑑別所(だったか?)に差し入れてくれた毒入り玉子焼き。

同じく小学校の頃、国語の教科書に載っていた物語。運動会で、お母さんが玉子焼きをお弁当に入れてくれる話。詳しいことは忘れたけれど、その部分は覚えている。

大学時代の友人が玉子焼きを作るのが上手でよく「作ってくれ」とせがんでいた。

くらいですね。

どの思い出も懐かしさで一杯です。

みなさんの「玉子焼きの思い出」は、甘いですか?それとも塩辛いですか?