「亀なりとたゆまなければうさぎ越ゆ」亀って案外アクティブって知ってました?

おはようございます。火曜担当しもじです。
みなさん、気づきました。
今月があと4日で終わるという事実に。

2013年ボケ(日付を書く際、2013年や平成25年と書くこと)はだいぶ薄れてきましたが、それでも1ヶ月のあまりの速さに目が回りそうです。
いや、実際は回しはしないけど、日本語の比喩表現ってやつです。
それくらい忙しい・・・もとい時間が過ぎるのが早くスピードについていけないという。
さて、スマートな会話や文章というのは得てしてこのような比喩表現や、昔ながらの表現方法、または諺や熟語が入っている物です。
こんな言葉知っているんだZE!というエスプリっぷり(ぷりっぷり)を発揮して、自分の賢さをアピールする強かさを感じます。
が、実際にはより話を分かりやすく伝えるための手段だったりします。
しかし、それも相手が言葉を知っていたら…という前提のもとです。

言葉というのはよく言われますが、生き物のようなもので環境によりその特性や存在意義が変わってきます。
つまり、使われない言葉は死んだ言葉=死語となり、「今はそんな言葉誰も使っていないよ」という扱いになります。
反対に、これまではなかったけれど、多くの人が使ったり、認識することで一般的に使われる言葉になるケースもあります。
現在は、このブログもしかり、Twitterもしかり、フェイスブックもしかりと言葉による表現の場が多くなり、新しい言葉が広まり、そしてすたれていくスピードが速くなっているとも言われます。
それは別の見方をすれば、人々はこれまでよりも多くの言葉と触れる機会が増えたともいえます。それとは反対に、ある特定(ここで言えばネット上でよく使われる言葉、口語体)の言葉はよく見るけれど、それ以外の言葉については見ないとも言えます。
そして、言葉の認識には文字を目で見る認識方法と、耳で聞く認識方法があります。
これまで口語体といえば、耳で聞く認識方法が多かったと思いますが、それが今の時代は目で認識する言葉になってきているのです。

そんなこんながベースにあって、目にはするけれど読めない漢字や熟語、また言葉は知っているけれど漢字や意味がわからない言葉というのがどうしたって出てきてしまうものだと思います。
致し方ありません。


で、言葉に関する2つのコラムを発見したので貼り付けておきます。

私も大概言葉の認識が不安定なので(仮にも書くことを仕事にしている分際でありながら、お恥ずかしいことに)、おっかなビックリで見てみました。
結果的には、それほど遅るるに足りずといった具合でしたが、それでも正解があるからこそ言えること。
これが、普段の生活において誰も間違いを指摘してくれない状況だったら…と思うと、自信を持って言葉にできるかどうかは怪しいもんです。
使わなければ死んでしまう、そんな言葉が多いのだと実感します。
もちろん、まず自分の中でその文字が死に、それが広まることで世間からも”殺されて”しまうのでしょう。
私の中から消滅したからと言って言葉が消えるわけではありません。
そして、そんな危うい記憶力や知識を補うために「辞書」という便利ツールがあるわけです。
学生の頃、読書の時間に辞書を読んでいる人がいたことを思い出した。あーいう時に見た言葉とか覚えた言葉って意外にずっと覚えていたりしますよね、なぜか。

言葉は死んだとしても存在が消されることはほぼないです。
もちろん、記録に残らなければそのままなかったことになってしますが。

しかし、人はどうだろうか。
人は死んだ後はどうなるの?と人間だれしも一度は考えたことがあるテーマ。

個人的な意見を言いますと、ワタクシは宗教に賛成派だったりします。
宗教というより、信心という方がいいのかもしれませんが。
人というのは、どうしようもなく孤独で寂しがり屋で、そんな心を常にもてあましているものだと思っています。
だから、どうしても何かをしていくては不安になって、誰かが傍にいないと悲しくなってしまうのだと。
心の支えとなるもの、それが信じるものがある=信心ではないのかと思っているのです。
そんなわけで、死後にどうなるのかということについても物理的な死=肉体の死は、多くの人が言うように焼かれて灰になったり、土に埋められ微生物により分解されていくもんだと思います。

それでも、人が死後が気になって仕方ないのは、きっと自分では認識する機会がない(あるとすれば死んだ時)という、わからない状態だからです。

そういう意味でも、死後があるんだかないんだかをハッキリ言っている宗教というものは、心のモヤモヤを解消してくれる一つの手段だと思うのです。
宗教というと、如何せん「無理強い」のイメージが強く、また20年近く前に起きた地下鉄サリン事件に代表される宗教団体オウム真理教によるテロ行為の印象もあり、悪いイメージがつきまとい気味です。
何を信仰するかというのが大きな問題にはなりますが、全てが悪いと決めつけるものでもないと思います。
じゃあ、そんなことをいうお前はどうなんだ、といえば、ワタクシ個人としてはやっぱり仏教に行きつくと思っています。
それとは違い、知識として人々の信仰に触れるというのも、自分のココロが洗われる気がして好きです。自身がその信仰をしていないため、後ろめたさはぬぐえませんが。

どこまで行っても、人間には答えの出せない問いなんかもしれません。
だからこそ、人を惹きつけてやまないのだと思います。

お忙しい現代人にとって、世事に振り回され、それに対処するだけで精一杯という状況で、「んなこと考えている暇人なんていねぇよ」という至極全うな意見をいただきそうなので、この話題はここまでで。

そして、そんな忙しいみなさんのために、最近ワタクシがハマっている「リクガメ」を紹介したいと思います。
カメというと小学生のころ、イシガメを飼ったことがあるのですが、水がすぐ汚れて「臭かった」という悲惨な思い出しかありません。
生き物なのだから、汚して当たり前で買うからには責任を持たねばならないと、今でこそ理解はしていますが、小学生のワタクシなど、もうそれが面倒で面倒で。
生き物を飼う資格のない体たらくぶりでした。
結果、水路で買って大雨が降ってカメは帰らなぬ人(カメ)となってしまいました。

そんなワタクシが、ここに来てカメ熱を挙げている理由。
それはリクガメという存在を知ったからです。
リクガメというのは、ミズガメと違い陸棲のカメを指す言葉です。

陸に棲んでいるので、たくさんの水が必要ではありません。だから水が汚れることがまずない。つまり、臭くない。
しかも、個体が大きくなる種類が多い。
大きなカメって、もうなんかご利益ありそうで、のそのそしていて可愛くないですか!?
といった感じで、テンションが上がっているのです。

いつか飼えたらいいなって思っています。
ワタクシ的にはすぐにでも飼いたいのですが、そこはそれほど上手くもいかず。
生き物を飼うということは、死ぬまで責任を持つことですからね。
それ相応の準備や心構えが必要なのです。
しかも、先ほどリクガメは個体が大きくなると書きましたが、それだけ長生きのものも多い。
そうなると、飼ったら自分よりも長生きをする可能性だってあるわけです。
そうした時、その後誰が世話をするのかということも考えなくちゃいけないのです。
そのような諸々から、すぐに!とは思っても、すぐににならない可能性が高そうです。
ぬーん。

このモヤモヤをわかって欲しいな、という勝手な思いにより、画像を貼り付けようと思います。

ゾウガメを除き、もっとも大きくなる個体と言われるケヅメリクガメ。
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成長すると、子どもが乗れるほど大きくなるとか。
こんなカメと小さな子供が遊んでいる光景って微笑ましすぎる。
ワタクシも乗ってみたい(無理)

その、ケヅメリクガメの次に大きくなると言われるヒョウモンリクガメ。
ワタクシが飼いたいのが、このリクガメ。
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マリオに出てくる、ノコノコのような丸っこい甲羅が可愛いです。
上にミカンを乗せたい。
このリクガメで、寿命が30~50年ほど。
長生きをしたら、どっちが先に死ぬかっていうくらいの勝負になりそうです。

リクガメの中でも飼いやすいと言われているのが、ヘルマンリクガメとロシアリクガメ。
こちらがヘルマンリクガメ。
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こっちがロシアリクガメ。
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どちらも初心者向けの個体のようですが、飼うとしたらヘルマンリクガメがいいかなぁと。
何故って?
ロシアリクガメは穴を掘って脱走する、脱走名人だからです。
田舎の庭にカメゾーンを作って飼いたいと思っているワタクシの夢を一夜にしてぶち破る存在になりかねません。
起きたらカメがいなかった…なんて。

そんなワクワクとドキドキとニヤニヤをもたらしてくれるリクガメたち。
よければ、みなさんも検索してみてくださいませ~。
YouTubeとかでアップされている、亀と猫の動画がかわいすぎます。
亀はなぜか猫が好きみたいで、でも猫は亀の得体が知れなすぎてめっちゃビビっているという図が、なんとも言えず「萌え」です。

これとか。



これとか、ね。


では、また来週。来週はもう2月ですね。
あ、節分が過ぎるのでワタクシ前厄突入です☆